「師走」という言葉は、12月の別名として多くの人が耳にしたことがあるでしょう。
この「師走」は、昔の旧暦で使われていた和風月名のひとつです。
和風月名は1年の各月ごとに異なる呼び名があり、現代ではあまり知られていないものも多いですが、なぜか「師走」だけは覚えているという人も少なくありません。
では、なぜ12月を「師走」と呼ぶのでしょうか?
そこにはどのような由来や意味が隠されているのでしょうか?
この記事では、「師走」という言葉の成り立ちや興味深い説をひも解きながら、12月のもう一つの呼び名や、この時期ならではの風習や行事について詳しくご紹介していきます。
師走とはいつのこと?
「師走」とは、12月を表す和風月名です。
和風月名とは、旧暦(太陰太陽暦)で使われていた月ごとの呼び名を指します。
具体的には、天保暦がその一例です。
現代のように単に「12月」と数字で表すのではなく、自然や季節感を反映した名前がそれぞれの月に付けられていました。
新暦(グレゴリオ暦)への切り替え後も、この風情豊かな月名は一部の文化や行事に残り、特に「師走」という言葉は今も広く知られています。
カレンダーの隅や年末の挨拶で目にしたことがある方も多いでしょう。
ちなみに、師走の読み方は「しわす」もしくは「しはす」です。
年末恒例の「大掃除」の意味
12月は誰もが忙しい時期です。
そんな中、ふと「なぜ年末に大掃除をする必要があるのだろう」と思ったことはありませんか?
普段からきれいにしている家では、わざわざ大掃除をしなくてもよいと考えるかもしれません。
しかし、年末の大掃除には特別な意味があります。
その起源は平安時代にさかのぼります。
当時、宮中では囲炉裏の薪から出る煤(すす)を払う「煤払い」が年末の恒例行事でした。
江戸時代に入ると、幕府は12月13日を「煤納め」の日と定め、江戸城で大掛かりな掃除を行ったと伝えられています。
この行事は単なる掃除ではなく、汚れを払うことで厄を除き、新年の神様を迎えるための神聖な準備とされていました。
やがて一般の家庭にも広まり、年の終わりに家中を清め、新しい年を迎える風習として定着しました。
現代では煤が出ることは少なくなりましたが、それでも汚れた家のままでは神様に失礼です。
また、大掃除には帰省するご先祖様や故人を快く迎えたいという思いも込められています。
こうした背景を理解しながら、心も住まいも整えて新しい年を迎えてみてはいかがでしょうか。
12月に楽しむ日本の行事
12月は、多彩な伝統行事や季節のイベントが目白押しの月です。
まず、日本の代表的な行事のひとつに「冬至」があります。
この日は、一年のうちで昼が最も短く、夜が最も長い日として知られています。
そして、冬至といえば「かぼちゃ」を食べる風習が広く親しまれていますよね。
かぼちゃは本来、夏に収穫される野菜ですが、収穫したばかりでは甘みが足りません。
数か月間熟成させることで甘みが増し、ちょうど冬に食べごろとなるのです。
栄養面でも、かぼちゃにはビタミンが豊富に含まれており、風邪予防や体調管理に役立つとされてきました。
そのため、無病息災を願って冬至に食べる習慣が根付いたのです。
また、冬至といえば「柚子湯」も外せません。
柚子の香りには邪気を払う効果があると信じられており、健康を祈る意味が込められています。
「融通が利く湯治」と「柚子が効く冬至」をかけた言葉遊びも、この風習が親しまれている理由のひとつです。
さらに、12月の日本特有の習慣として「お歳暮」が挙げられます。
お歳暮は、日ごろの感謝の気持ちを込めて贈り物を贈る伝統的な行事です。
その歴史は江戸時代にさかのぼり、当時の商人や住人たちが取引先や家主に贈り物を届けることから始まったと言われています。
そして、現代の12月のイベントとして「クリスマス」も定番です。
特に若い世代にとっては、冬至やお歳暮以上に大切な行事と感じる人も少なくありません。
師走の語源とその意味
「師走」という言葉を見て思い浮かべるのは、「師が走る」という表現ではないでしょうか。
最もよく知られる説のひとつは、12月は師、つまり僧侶や先生が走り回るほど忙しい月だから、というものです。
昔の日本では、年末に僧侶を自宅に招いてお経をあげてもらう習慣がありました。
お坊さんは各地から次々と依頼を受け、多忙を極めて走り回っていたことが「師走」の由来だとされています。
さらに、「師」には僧侶のほか、教師や神社仏閣の御師(おんし)、さらには「士」に通じる兵士なども含まれます。
これらの職業の人々も12月は特に忙しい時期であり、その様子が「師が走る」という言葉に結びついたのです。
師走の語源には異なる説も
多くの人が「師が走る」という意味で師走を理解していますが、実は他にも興味深い説があります。
そのひとつが、「物事の終わり」を意味する言葉に由来する説です。
12月は、多くの企業が仕事納めを迎え、季節の流れでは冬が最後の季節。
そして何よりも1年の締めくくりの月です。
このように、終わりを象徴する出来事が重なることから、「仕事(しごと)」「四季(しき)」「年(とし)」といった言葉の「し」に「果つ(はつ)」が組み合わさり、「しかつ」「しはつ」と変化して、最終的に「しわす」になったと考えられています。
「果つ」は「終わる」という意味を持つ言葉であり、この説もまた師走の名前に隠された興味深い背景のひとつです。
異なる視点からの師走の説
「師が走る」という説や「しが果つ」説は、どちらも説得力のある由来です。
しかし、それらを根本から覆す「当て字」説もあります。
奈良時代の文献『日本書紀』や『万葉集』には、「十有二月」という表記に「しはす」という振り仮名がつけられています。
また、国語辞典の中にも「師走」が当て字だと記載されているものがあります。
この説によれば、「しわす(しはす)」という言葉は当時すでに存在し、そこに意味を持たせるために漢字を当てたというのです。
つまり、「しわす」という言葉自体には特別な意味はなく、単なる12月の別名だったとされます。
師走以外の12月の異名
12月には「師走」以外にも数多くの呼び名があります。
その中からいくつかをご紹介します。
梅初月(うめはつづき)
旧暦の12月は現在の1月から2月頃にあたり、梅が咲き始めることに由来します。
年積月(としつみつき)
新しい年を積み重ねていく月という意味を持ちます。
春待月(はるまちつき)
冬の終わりに春の訪れを待ち望む気持ちから名づけられました。
季冬(きとう)
冬の最後の月を表します。
極月(ごくげつ)
年の終わりを示す呼び方です。
まとめ
「師走」という言葉には、師が忙しく駆け回る様子を表す説のほか、仕事や四季が終わることに由来する説や、当て字説など、さまざまな解釈があります。
正式な由来は今なおはっきりしていないため、自分なりに考察してみるのも面白いでしょう。
また、12月には多くの伝統行事があります。ぜひこの機会に、それぞれの行事の意味を振り返りながら、季節の文化を楽しんでみてください。